ロボットプラモ研究・・・は、やめました

「ロボットプラモ大研究」というテーマで当時遊んだロボットプラモの技術解説記事を思案していたんです。

ロボットプラモを
●車輪タイプ・・・イマイの「月世界パトロールロボット」
●不完全歩行タイプ・・・イマイの「鉄人28号」
●完全二足歩行くるぶし曲がりタイプ・・・ミドリの「何とか」
●完全二足歩行膝曲がりタイプ・・・小暮の「サイボーグ」

に分類しようなんて考えたりして。

でも、ネットの世界に出てみたら、そっち方面の深い方々がたくさんいることがわかり、私の出番はないなと実感しました。

その替わりと言っちゃぁ何ですが、武蔵野市立第一小学校 3年2組の私が書いた作文でも見てやってください。

工 作 の ロ ボ ッ ト

 

 夏休みがちかづいたある日 図工の時間に先生が
「なにか工作を 作ってきなさい。」
と、おっしゃった。
 ぼくは はじめ木でふねを 作るつもりだった。けれどなんとなく 目にでんきがつくロボットが作りたくなった。まず、ずっとまえ おとうさんと作ったスイッチをさがしだして それを見本にし、まめでんきゅうとソケットを かいにいった。

 まずでんきやにいき ソケットとまめでんきゅうをかい もけいやでビニールせんをかい かえろうとしたら きゅうに夕だちがふりだした。
 ぼくはいそいでうちにかえった。

 つぎの日 朝からいよいよ作りはじめた。
 はこはボーリングのはこにした。あたまは がようしで作ることにして 目にでんきをつけるようにした。はなは三かくがたにとがらし 口はながしかくにあけて マッチをうらにはりつけ そのうらに赤いセロハンをはった。
 そして くびをつくって きょうはおわり。

 つぎの日は 日よう日だった。
 ぼくはおとうさんに 作りかけのロボットを見せてくみあわしたら おとうさんは
「すこしどうたいがながすぎるなあ。」
といったのでつくりなおした。
 それから
「おなかのもようとかそういうものは ちゃんときめたのか。」といった。
 ぼくが
「きめてない」
といったら おとうさんは、
「じゃあ めいてんかいかん(名店会館)へ ロボットのおもちゃを みにいこう。」
といったので みにいった。

 めいてんかいかんには かおの三かくのロボットや 目にでんきがつくロボットなどいろいろなものがあった。そういうロボットの中から ぼくとおとうさんはいろいろきめていった。
 おなかにテレビ あたまにアンテナ 足も二本にした。
 そしておとうさんは、また
「でんきのスイッチを かっていこう。」
といってかっていった。
 
 うちへかえるとおかあさんは
「せっかくよしあきが いいしくみをかんがえたといっているんだから、ざいりょうだけみつけてしあげたらいいんじゃない。そんなスイッチつかったんじゃ つくったとはいえないんじゃないかしら。」
とはんたいしたので おとうさんは 古い二またソケットをこわして ねじを ぼくの力ではきれないので おとうさんがきって スイッチのぶんにした。

 そしてでんちホルダーを どこにつけるかとかんがえた。そして はこの中にホルダーを入れ その上にロボットを のせることにした。

 そのつぎの日 ロボットに がようしをはり あたまもつけて かたちは すっかりだけど 足とどうたいが くっつかない。はじめのりでやったが ぜんぜんつかないので くぎでうとうかとおもったが そういうわけにはいかないので ぼくはかんがえこんでしまった。

 するとおかあさんが
「ビニールテープをはったらどう。」
と、いったけど いい色がないので ぼくはまたかんがえこんでしまった。 そうすると またおかあさんが
「それじゃあ 紙をきって のりをたくさんつけてはったらどう。」
と、いったので そうやってつけてみたら とてもうまくいった。

 つぎは ロボットに 色をぬることだ。はじめおかあさんは
「クレヨンをうすくぬったらいいんじゃないかしら。」
と いった。けど ぼくは
「えのぐにする えのぐにする。」
と、いいはるので えのぐにした。あい色だ。
 ぼくがよういをしていると おかあさんが
「やってうすかったら二どぬりをしなさいね。」
とおっしゃった。

 じゅんびができてぬりだした。
 ぬってみるとなんとなくきたなげに見えたが ぬってみた。できあがって前から見てみると とてもきたなげに見えた。
 おかあさんが
「とても かおが きたなげになっておっかないね。」
といった。

 ぼくは これじゃだめだとおもった。

 ためいきをついていると おかあさんが
「やっぱりクレヨンを うすくぬった方がいいんじゃなかったの。」
というので ぼくは、
「へいきだよどうにかなるよ。」
といいかえしたけど ほんとにこまった。

 だせばわらわれるし ださなければ しかられるし どうしようかとこまった。

 するとおかあさんが
「その上に白をぬったらどう。」
といった。
 そして白をぬっても あいかわらずだめだ。ぼくもおかあさんもがっかりしていると おかあさんが
「ようしもういっぺんぬりなおそう。」
といったら
「めんどくさいからいやだ。」
といった。

 おかあさんが
「それいがいに 方ほうがないじゃないの。はじめぼくがぜんぶつくったんだから せんのひきかたもわかるのだから せんをひくのだけ おかあさんがてつだってあげるから よしあきちゃんは のりときるのだけやりなさい。」
 そしてさっそくがようしとのりを かってきて またはりなおした。

 ぼくは 朝からなんにも あそばないので きがくるいそうになった。
 
 それでおかあさんが
「二じかんだけあそんできなさい。」
といった。
 そして すこしあそび またはいってやった。

 えのぐのいろは 青に 白をまぜて うすみどりを すこしまぜた。
 そしてアンテナをさしこんで できあがった。

 ロボットを つくるまでには 四日かかり、作るのは とてもおもしろかった。

 こんど ぼくは モーターをつかって ふねをつくってみたい。

 

下はおまけです。

1960年前後のテレビヒーロー番組を笑っている人へ告ぐ


1954年生まれの私にとって「仮面ライダー」や「ウルトラマン」はかなり大人になってからの番組。「俺は男だ」などはほとんど見ていなかったので、森田健作が「吉川君、待ちたまえ」 などと言うのを聞いて、「今の高校生は”待ちたまえ”などと言わないぞー。」と笑ったりする。

その意味ではテレビ創生期の「特撮変身ヒーローもの」は、とうてい今の視点からは耐えられない出来だ。

だが笑ってはいけない! 当時の私は真剣に見ていたのだ。

上は1960年頃買った、我が家最初のテレビ(東芝製)。左が私、右は弟。

リ ア ル タ イ ム で 放 送 を 見 て い た 私 の 記 憶 
(ちなみに赤文字は今でも主題歌が歌える)
  タ イ ト ル 当 時 の  印 象  年代

月光仮面 放送当時、私の家にはテレビがなかった。だが記憶にある。おそらくよその家に見に行っていたのだろう。それほどの人気番組だったから・・。

昔はテレビは高価で、「一生に一度のお買い物です。だからテレビは技術と信頼の○○電機」などの広告もあったくらいだ。どの家にもテレビがあった訳ではなく、持っている家には近所の人が集まることもあったのだ。

それがいやな家がアンテナを立てずに見て「映りが悪い」と文句を言ったり、大事なテレビだからと仏壇のような木箱に入れて見たもんだから過熱して発火、家を燃やしたという笑えない事故もあったらしい。

そこで月光仮面だが、特に違和感はなかった。楽しく見ていた。今見ると舗装されていない道をスーパーカブの親分のような白いスクーターで走る月光仮面はお笑いだが、当時は全く変だとは思っていなかった。「サタンの爪」は今見たくない情けなさだが。

1958〜59
遊星王子 遊星仮面じゃないよ・・。 この番組は全く記憶にない。テレビがないんだもの。 1958〜59
少年ジェット ここから自分の家で見た記憶がある!

結構良質の印象。小型ジェットで空を飛ぶシーンは、いつも使い回しだったが・・。

放送途中で主役が交代した。本編が終わってから、いつもの少年ジェットと見たことのない少年ジェットが登場、初代ジェットが「今度から君が少年ジェットだ。」などと言いながらシェーン(犬)を引き渡すシーンがあった。

新しい少年ジェットは「シェーン、あっち回れ」「ワン」「こっちへ来い」「ワン」とシェーンと仲良しであることを証明した。初代少年ジェットは「じゃあそういうわけだから、みんなよろしく。」などと言って交代儀式が終わった。

「なぜ画面の中のヒーローが俺に話しかけるのだろう。」と、抵抗があった。

1959〜60
鉄腕アトム(実写版) 雑誌「少年」で連載しているのを毎月読んでいたので、俳優が演じるアトムは非常に違和感があった。姿形に関しても上半身が裸でないのがとても変だった。まあ裸でも変だっただろうが・・。

一度悪人がなぜか八百屋の「西瓜(すいか)」に毒を注射し、それを食べた人間がおかしくなってしまうという話があった。試しにそれを食べたアトムも制御不能になってしまうのだが、子供心にも「ロボットのアトムが西瓜を食べて狂うわけはないだろう。」と思った。視聴者が子供だからといって、”科学的でない”話を書いてはいけません。

・・・いや、その他のヒーロー番組が科学的だと言っているわけではないんですよ。「納得できるお約束」か、と言う意味です。コンバットのサンダース軍曹があれだけ毎週手柄を立てても、相変わらず軍曹って言うのもあり得ませんが、それは「お約束」だからいいんです。

1959〜60
まぼろし探偵 ほとんど見た覚えはない。これは確か七色仮面の裏番組だったため。 1959〜60
七色仮面 今見るとパイナップルの出来損ないのような七色仮面はお笑いだが、あれはターバンを巻いてサングラスをした月光仮面よりかっこよかった。

おそらく「フルフェイス」で俳優の顔が見えないためだろう。今の「ウルトラマン」に通じるものがある。その意味では初回の「マグマ大使」はなじめないし、「ライダーマン」も対象外なのだ。これは「ペルソナの法則」にのっとったものである(・・?)。

参考・・ペルソナとは仮面のことであるが、パーソン、パーソナリティーの語源となる。奥が深いのだ。

1959〜60
豹(ジャガー)の眼 なぜか見た覚えはない。放送期間もたった3ヶ月だったし、日曜7時からの放送は、親父が必ずニュースを見るから無理。ウルトラマンも後半何とか見せてもらっていたくらいだから。 1960
海底人8823(ハヤブサ) それほど強いという印象がなかったし、「海底からやってきました。」と突然現れる。海底でどうやって生活しているかがよく見えなかったから、はまらなかった。

もっとも、ウルトラマンの「光の国」を見せられても、つらいものがあるが・・。

1960
鉄人28号(実写版) これも「少年」で連載しているのを毎月読んでいたので、あまりの情けなさにはまれなかった。

情けないところ1・・人が入っているので、サイズが人間とあまり変わらない。形もマンガに比べてセンスがない。

情けないところ2・・駅弁売りのような操縦器が、やたらでかくて怪しげ。

1960
10 怪獣マリンコング ロボット怪獣の話。特撮シーンはあまり多くなかったが、好きだった。日曜の朝放送。

土曜〜日曜は吉祥寺から世田谷の叔父の家によく泊まりに行っていたのだが、先方で必ずこの番組は見ていたので、従姉妹からは「マリン兄ちゃん」と呼ばれていたほどだ。

1960
11 怪傑ハリマオ 非常に面白かった。時代背景(ハリマオは義賊で、日本がインドシナに進出するのを助けたという・・)は全くわからなかったが、東南アジアでロケをしていると、堅く信じていた。

・・その意味で言えば、「モスラ対ゴジラ」や「キングコング対ゴジラ」に出てくる南の島の住人(「昔・・この島・・いい島・・だた。」などと言う)は、本当に地元の人だと思っていたし、向こうの人は何て踊りがうまいんだ」と思っていた(隠し砦の三悪人の村人の踊りもうますぎる)。

1960〜61
12 アラーの使者 見ていたが、あまり思い入れはない。 1960
13 ピロンの秘密 だいたいタイトルからして妖しい。時々見たが、なにやら恥ずかしくて、ちょこっと眺めてはチャンネルを回していた記憶しかない。

原作は手塚治虫・・。そうかあの恥ずかしさは「ふしぎなメルモ」に共通するものだったのだ。それとも旧ガメラシリーズの「マッハ文朱(レオタード宇宙人)」に通じるものか・・。

1960〜61
14 ナショナルキッド 仮面をとってNをSに書きかえればただのスーパーマンだが、非常〜〜〜〜〜に好きだった。空を走るように逃げるインカ金星人を追いかけるナショナルキッドは最高にかっこよかった。第二エピソードに出てくるシーラカンスのような水中艇も新鮮だった。明らかに特殊撮影に金をかけていた。

ただ、名前の通りスポンサーは松下電器(一社提供)。ナショナルキッドはぴかっとビームが出るスーパーガンのような銃(エロルヤ光線銃だったっけ?)を持っていたが、一度CMにナショナルキッドが出てきて、「ナショナルキッドも松下電器の乾電池を使ってます。」とナレーションが読まれたときは「いくら何でもそれはないだろう。」と思った。

1960〜61
15 少年探偵団 放送も長かったから見ていたよ、喜んで・・。でも変身ヒーローではないのでパス。 1960〜63
16 恐怖のミイラ 一回見てあまりの怖さに震えた。その後親は見せてくれなかったが、私も二度と見たいとは思わなかった。・・・あ、そこの君、笑うんじゃない! 1960〜61

何はともあれ・・

当時のヒーローは「正義の味方」「正しい者の味方」であって、自分から正義とは言っていない。また「みんなのために」「平和を愛する人のために」「この世に仇なす者達を」「こらしめる」のであって、悪者は爆発して消滅したりはしない。

そして何より大事なこと、それはヒーローは「月光仮面のおじさん」「七つの顔のおじさん」だったのだ。「だからどうした?」と言われても困るんだが・・。