運営しながらレースを楽しむ
何年も続いたレース運営
1980年代に入ると、各社からかなりコンペティティブな車も登場し、1/12の電動カーレースには一つのスタイルが確立しました。

写真はおそらく1981年頃のもの。セリカリフトバックが懐かしいですね。雪も残っているので、春先でしょう。

ちなみにこの会場にはなかなか面白い背景があります。

終戦直後、アメリカのマッカーサー将軍が、進駐軍の総司令官としてコーンパイプをくわえて厚木に降り立った話はモデラーなら知る人も多いと思いますが、その時乗って来たロッキードを後に新潟の事業家が購入し、これを置いて機内食レストランをオープンさせたのがこの場所です。何年かは経営が続きましたが、結局レストランは店じまいし、機体もどこかに運ばれて行きました。その跡地を我々は何年も借りていたのです。

閑話休題、話をもとに戻します。

レースを活発に開催するには、いくつかの条件が必要です。

  1. 出場したいと思う愛好者が十分いること。
  2. 場所が確保できること。
  3. 運営を行える技術と熱意を持った主催者がいること。
  4. 参加者が満足でき、次回も参加したいと思う公正なルールがあること。
  5. 必要な機材が確保できること。

こう書いてみますと、やはり最も重要なのは1番ですね。他の要素ももちろん大事ですが、ラジコンを楽しんでいる人口が多ければ多いほどレースは開催しやすくなり、盛り上がります。その他の要素は技術的な部分ですので、何とかなるものです。

確かに1977年から80年代前半のラジコンシーンには元気がありました。私のラジコン歴は25年になりますが、やはり黎明期が一番楽しかったと言えます。レース主催者の一員として朝早くの準備から片付けはきつい部分もありましたが、ラジコンという一つの共通項で年代の違う仲間がどんどん増えていく楽しみは、捨てがたいものがあります。

そんな様子がタミヤニュースに紹介されています(右)。

現在のレース、子供には敷居が高いかな

それにひきかえ今はどうでしょう。車のレベルははるかに向上しました。作りやすくもなりました。だが子供達はあまりラジコンを買いません。模型を自由自在に操る面白さは、男の子には無条件で受け入れられるもののはずなのに。

もちろんテレビゲームという強敵が出現したこともありますが、子供達のことを考えたレースがほとんど姿を消してしまったことも原因の一つかもしれません。

レースを主催するエキスパート達も、これだけレースがシビアになると自分が走るだけで精一杯なのでは?

まあ、この話は1度ゆっくり考えて見たいので、このくらいにいたします。