定番の大戦機

●なぜ飛行機なのか  

昭和37・8年頃(小学校3・4年)は飛行機中心に作っていました。飛行機プラモは安いもので30円〜50円。標準的なもので100円。ちょっと良くなると150円〜200円。500円ともなると天文学的な高級モデルでしたが、艦船や戦車などに比べ、買いやすかったことは事実です。

だが、それは本当の理由ではなかったはずです。おそらく当時の少年マンガ雑誌(少年マガジンは40円だった)などでは「紫電改のタカ」「ゼロ戦太郎」のような飛行機マンガが数多く連載されており、また、読み物なども豊富で、子供でも「グラマンF6F」や「ロッキードP38」は知っていたのです。昭和39年公開の東宝特撮映画「太平洋の翼(紫電改もの)」なども映画館に見に行きました。

(ちなみにこの映画を最近35年ぶりにビデオで見たのですが、戦闘シーンの記憶はほとんど正確でした。ストーリーは「七人の侍」そのままですが、楽しめますよ。)

飛行機マンガはストーリーも書きやすかったかもしれませんね。パイロットとして自由に空を駆け回る主人公の物語は容易に想像できますが、空母乗りの「”飛龍”三郎」ではどうやって話を作って良いか・・・。歩兵や戦車兵の話もちょっと・・・。

やはりプラモは背景の世界をどれだけイメージできるかがベースになります。潜水艦の世界も、「サブマリン707」がなければ日があたることはなかったと思います。

●当時作った飛行機プラモ

雑談はさておき、私が作ったプラモの紹介です。子供の頃の話ですから、現物は遊び壊して現存しておりません。しかし幸運にもいくつかの説明書は捨てていなかったので、これを見ながら記憶をたどってみます。

まずは昭和37年頃に作った大滝の夜間戦闘機「月光一一型(取扱説明書)

何と言ってもこの説明書が泣かせます。ほとんど完成図ですもんね。これで作れというのも乱暴な話です。ほとんど藤子不二雄の「ロケットけんちゃん」の世界です
可動部分が少なく、子供にはつまらないモデルでした。

そう言えばマルサンも忘れてはなりません。これは「ヤコブレフYAK−9P(取扱説明書)。ソ連の飛行機はあまりなじみのないものでしたので、なぜこれを買ったかは覚えていません。50円の買いやすさだったのでしょうか。あるいは説明書に実機の解説や要目(実機データ)が詳しく載っていたからでしょうか。ゼロ戦を基準とすると「全備重量が重いなー。」「馬力は倍近くあるね。」などと比較するのは楽しいものです。

ニチモはたくさん製品を出しています。出来としては全体にかなり良い方でしたね。私は作らなかったのですが、1/35〜40くらいの紫電改は今でも印象に残っています。

画像は昭和39年ごろ製作したニチモ「P51D(取扱説明書)です。スケールは1/48か、あるいはやや上であったと思うのですが、当時は体の大きさも今より小さいですから、体感的なスケール感はあまり信用できません。このモデルはとにか可動部が多く、子供には非常に魅力あるものでした。

このくらい部品が多くなってきますと、私にとっては高級モデルの部類。

P−51はラジエターの廃熱が推進力になって、最高速度の増加に貢献したと言われていますが、それをこのモデルは形で見せてくれます。

この後タミヤの1/50傑作機シリーズが出てきます。このシリーズはすべて作りました(有名なシリーズですので、説明書の紹介は省略)。どれもよいできでしたが、なぜかあまり思い入れというか、懐かしさはありません。発売のペースも早く、次々に出てくる新製品ひとつひとつに個性や工夫があまり感じられなかったからかもしれませんし、あまりにも作りやすくて苦労した印象がないのかも知れません。うーーん。

●消えてしまったメーカーなど
小学校時代に作っていたプラモの組み立て説明書を、本当に久しぶりに引っ張り出して眺めていると、当時は気にもしなかったメーカーの名前が妙に引っかかります。大滝のように”最近”なくなってしまった会社もありますが、この頃飛行機プラモを出していた会社には、あまり知られていない名前もあり、これら会社はいったいどのようにプラモ作りを始め、どのように消えていったのでしょう。

下記に挙げた3つのケース(取扱説明書)の場合、2社は台東区にあります。ここからすぐに「おもちゃ」「金型」「町工場」とイメージが膨らんで行くのですが・・・。

三和模型(台東区浅草蔵前)の「ボーイングB17」。三和模型のこの双発、

三和の4発シリーズは他にも「97式飛行艇」「グローブマスター」などいくつかの説明書が残っています。

虫ピンでプロペラを止める所はご愛嬌ですが、風を送るときれいに回ってくれました。

とみやま商事(現TOMY!)「グラマンF9F-5P パンサー(スケールは1/67)」。朝鮮戦争では主にロケット弾による地上攻撃に使われたと言います。

実機についての思い入れはないので、なぜ買ったか判らないのですが、主翼の下に大量のロケット弾がついていましたので、きっとこれに惹かれたのでしょう。

 東京プラモ株式会社(台東区蔵前4丁目)の「フォッケウルフ190−D9」です。

 これが私にはややミステリー。とにかくこのイラストを見てください。当時のセンスではありません(上記大滝と比べたし)。モデル自体の出来も非常に良く、ちょっと別格の仕上がりでした。だが私の作った東京プラモの製品はこれだけです。こんなレベルの高い会社ですが、その後どうなったのでしょう?

●可動部分が命
現在の飛行機プラモ、まず子供は作らないでしょう。どれも良い出来で、当時と比べれば雲泥の差ですが、ディスプレー重視でほとんど可動部分がありません。

だが当時の私の基準では、「可動部分が多いほうが良いモデル」だったのです。脚は引っ込まなくてはなりません。キャノピーはもちろん開閉が絶対条件です。エルロンやラダー、エレベーターフラップはもちろんですし、尾輪も引っ込めば最高です。そうしなければ地上の状態から飛行状態に「変身」出来ませんから。

上のニチモのムスタングなどは私にとって最高の部類ですが、例えば「ラジエターフラップ」が開閉するギミックを目の当たりにして、私は水冷エンジンの冷却について考えをめぐらすことが出来るのです。スケール感を大事にするためには可動部分があることはマイナスですが、当時の飛行機プラモは子供のものだったのです。

これは大滝の「F104J(取扱説明書)ですが、何と煙が出て走るというすごいモデルです。価格は500円だったと思います。月の小遣いが300円程度の私にはとても買えるわけはなく、これは確か世田谷の親戚の叔父さんか、父親の会社の同僚の人から買ってもらったと思います。

●前の一個のモーターで走行及びファンの回転を担当します。

●電池は単Vを4本使います。二本は動力用、二本は発煙用です。当時単Vを4本買いますと100円でしたので、普通の飛行機プラモなら買えました。

●発煙装置は、油を染み込ませたポッドをニクロム線で加熱する仕組みでした。艦船モデルでも良く使われていましたね。なぜかすぐヒーターが切れてしまいましたが、あの煙の匂いは独特のものです。

●発煙装置から出た煙は、電池ケース下のパイプを通って後部に送られます。なぜ煙に勢いがなかったか? それは第一にパイプの太さが5mm程度と細く、通気抵抗が過大だったためでしょう。

このモデル、タービンファンがついているので、煙はサンダーバードのように勢い良く出ると思いきや、噴射口からモワモアと出るだけだったのでがっかりしました。まあ、ほとんどおもちゃの世界ですが、これを自分で作ることで「ものの仕組み」を学べるのです。