タミヤグランプリ
13年連続出場です

現在の私、実は数年前からラジコンは半分休眠状態。それは子供もまだ小さく、休日に家を開けることなど考えられないからです。今は子供が大きくなって独り立ちすることを祈るばかりですが、その頃は私も50歳を越えてしまうので、当然反射神経などは使い物にならなくなっているでしょう。つまり私のラジコン人生はすでに終わっている・・・?

それでも年一回のタミヤグランプリ、新潟予選大会だけは欠かさず出るようにしています。

普段レースに出ていないので、「もうやめたのか?」 と思う不届きものがいてはいけませんし、 タミヤグランプリは県内・隣県のほとんどのラジコンマニアが集まりますので、私にとってはさながら同窓会のようなものです。

 

下記にこれまでの全出場結果を表にしました。参加は1990年(第6回)からですが、それまではタミヤ車はあまり使っていなかったためです。

全体を眺めて気がつきました。やっぱり熱意と練習にかける時間は成績に反映すると。

○独身の1990〜1992年までは、強かった。この頃は地元のレースにも積極的に出場しており、十分現役だったのです。

○結婚して、子供ができてからの1993〜1996年は、いつもぶっつけ本番。成績は情けない。

○1997年〜2000年は大会前にはそれなりに事前練習して臨むとにし、かなり成績が回復した。98年には掛川へも行くことができた。

○2001年は屈辱の結果に・・。言い訳として、ホームページで時間をとられたことにしよう。

タミヤグランプリの良さは、何と言ってもイコールコンディションです。もちろんオプション部品をどれだけ揃えられるか、パーツを常に新品にしておける財力があるかは無視できませんが、普通に組み立てて十分参加できるレースはなかなかありません。タミヤのスタッフと地元の模型店、問屋さんの協力で行われる運営も非常に気持ちのよいもので、レースの結果にかかわらず、また来年が楽しみになります。

ちなみに3枚の写真はコンクール・ド・デレガンスを取ったクルマです。当時はこの程度でも取れましたが、今のみんなの作品は更に力が入っていますね。

 

大会参加者は12年で4倍以上に

私が参加してからの出場人数を見てまいりましょう。表から、この12年間で人数が4倍以上になっていることがわかります。ここ2、3年は県外勢が非常に多くなっているためですが、確かにこれじゃ運営も大変だ。

95年から97年にかけて落ち込みがあります。理由としてはもちろん天気もありますが、その時代のラジコンに対する「熱」もあるでしょう。この件はまだ良く分析していませんが、私のように25年も電動ラジコンカーをやっていますと、時代時代でブームが来てはしぼんでゆく様子を何度も見てきました。大体がそのジャンルが成熟してレベルが上がり、普通の人達が楽しむには重荷になって行くことが原因です。

タミヤグランプリはこのように盛況ですが、それ以外のレースシーンはどうなんでしょう。最近私はほとんど他のレースには出ていないんですが、子供達も気軽に参加できるレースになっているのか、やや心配です。

何はともあれタミヤさんがやめない限り、50歳になっても60歳になっても「ちょっと速いおやぢ。」の地位は守ろうと思っています。

タミヤグランプリ全出場記録

年度と出場人数 クラス 使用車 予選 決勝 備考
1990(第6回)・・・記録一部紛失 スーパーストック4WD アバンテ2001 1位/23人 1位/6人  
危なげなく予選一位、決勝も4分レースで2位に7秒差の横綱レース。
ビッグタイヤ モンスタービートル 1位/10人 1位/6人 コンクール・ト・゙デレガ゙ンス
こっちは遊びですが、悲しい出場人数。
1991(第7回)・・・90人 スーパーストック4WD アバンテ2001 1位/33人 1位/6人  
予選は2位に6秒差をつけて余裕の決勝進出。決勝はモーターがへたってあせったが、何とか優勝。
ビッグタイヤ モンスタービートル 1位/6人 1位/6人 コンクール・ト・゙デレガ゙ンス
ますます参加が少なくなり、全員決勝。
1992(第1回全日本新潟予選)・・・142人 F−1エキスパート   5位/24人 5位/8人  
あまり得意ではないF−1はこんなもので上出来。
レーシングスポーツ マツダ767 5位/22人 1位/8人  
決勝は飛び出し、2位に一周近く差をつけて圧勝。
1993第2回全日本新潟予選)・・・175人 F−1エキスパート   5位/27人 6位/8人  
F−1はいつもやっている人にはかないません。
レーシングスポーツ マツダ767 1位/11人 8位/8人 コンクール・ト・゙デレガ゙ンス
予選一位の私ですが、タイヤが外れると車はチャンと走りません。
1994第3回全日本新潟予選)・・・204人 ツーリングカーGr-A TA−02 2位/34人 5位/8人  
予選は一位とほぼ同タイム。欲を出してセッティングを変えたら、車はカニ走り。
エキスパートフォーミュラー   6位/37人 パス  
F−1はいつもやっている人にはかないません。
1995第4回全日本新潟予選)・・・170人 ツーリングカーGr-A TA−02 5位/27人 2位/8人 コンクール・ト・゙デレガ゙ンス
TRFチューンを使ったら、まともに操縦できませんでした。決勝は後半追い上げるも、届かず。
1996第5回全日本新潟予選)・・・147人 ツーリングカーGT−1 TA−03F 16位/29人 予選落ち  
TA−03Fがこんなに曲がらないとは!でも他の人の03Fは良く走るのよね。
ミニスポーツ   9位/30人 予選落ち  
初めてミニスポーツに挑戦。でもこのていたらく。
1997第6回全日本新潟予選)・・・161人 ツーリングカーGT−1 TA−03RS 8位/22人 7位/10人  
ツーリングカーのレベルはどんどん上がり、苦しい展開。
スーパーミニスポーツ M−01 1位/32人 2位/10人  
決勝は余裕で一位を走行していたが、操縦ミスで車は場外へ。静岡行きの権利はもらえたのだが、行きませんでした。
1998第7回全日本新潟予選)・・・237人 ツーリングカーGT−1 TA−03RS 11位/21人 パス  
ミニスポーツに賭けることにして、決勝は当然パス(この年から一人で二つの決勝出場はできない)。
スーパーミニスポーツ M−03 2位/52人 1位/10人 世界戦予選一位
優勝した私は、掛川へ行くことに。
1999第8回全日本新潟予選)・・・247人 ツーリングカーGT−1 TA−03R 13位/36人 パス  
ミニスポーツマスターとしては、当然パス。
スーパーミニスポーツ M−01 3位/47人 7位/9人  
セッティングをシビアにしすぎてタックイン気味。おまけにボディーマウントが曲がって自滅。
2000第9回全日本新潟予選)・・・317人 スーパーGT TA−03FS 12位/31人 パス  
ミニスポーツマスターとしては、当然パス。本音は「到底勝てそうもない」。
ミニスポーツ M−03 1位/69人 1位/14人  
予選はただ一人11周。20周で行われた決勝は、2位を一周半引き離す、久々の大圧勝おおおお
2001第10回全日本新潟予選)・・・293人 スーパーGT TB01エボ 12位/29人 雨で中止 1ヒートのみ
セッティングが決まんなかったんだってば!
ミニスポーツ M−03 17位/45人 雨で中止 予選のみ
二回とも亀の子になったんだってば!